【忠犬ハチ公を訪ねる旅】おすすめルート4選を地図写真付きで解説!

(第67話)
【忠犬ハチ公を訪ねる旅】おすすめルート4選を地図写真付きで解説!
感動の実話、ハチ公物語。渋谷駅での10年間の忠誠心から、ハチ公が眠るお墓や国立科学博物館の剥製、そして東京大学での再会の感慨深いエピソードまで、ハチ公の心温まる物語を巡る興奮の場所をご紹介します。

<物語を書くはじめに・・・>
愛犬の存在は、日々の生活に安らぎや楽しみをもたらしてくれます。また愛犬の存在が生きる活力になっている人も多いのではないでしょうか? 我が家の場合、1匹のトイプードルが生きる希望を失った私自身の気持ちと家族の心の危機を救ってくれました・・・・・・

2020年4月病気の宣告を受けました! まさか自分が・・・・なんで?と正直思いました。きっと大病すると人はそう思うものかもしれません。何故かと言うと大抵の人は、自分は真面目にお天道様に恥じない生き方をしているし、根拠もなく70歳~80歳までは生きるだろうと思っているからです。
私もそうでした。平成24年に会社の社長より、時期社長に任命され会社の同僚と明るい未来を夢見ながら休みなく毎日、深夜0時から明け方まで無我夢中で働いてきた矢先に病気を宣告されました。

家族に病気の話をすると想像とおり真っ暗な雰囲気になりました。もともと家族で出かけたり、人狼ゲームをするなど仲良し家族でしたが、子どもが成長するにつれて子どももリビングにいる時間が減っていき・・・・あと言い訳すると、仕事に没頭するあまり妻の心を置き去りにしていた自覚はありました。

2020年5月、妻と子どもに「生きてほしい」と励まされながら入院治療が始まりました。ちょうどコロナで志村けんさんや岡江久美子さんがお亡くなり、世界中の人々がコロナウイルスで蔓延したパンデミックの恐怖に陥っている時期でした。入院経験ある人はわかると思いますが、励ましてくれる家族身内や知り合いに感謝の気持ちがいつも以上に芽生えます。だから毎日、家族身内、そして私の知り合いすべての人がこの病気にならないように神様にお祈りしておりました。

一方で過酷な現実もあるわけで・・・・ひとつずつ翼を折られるように、仕事や人との信頼関係、そして未来予想がひとつずつ目の前から消えていき・・・何だか自分が人生の落第生のように思えました。
そしていつしか考えることは、せめて親として子どもが自立するまでの生活と学費を稼ぐ手段、夫として結婚をしてくれた妻の老後資金を稼ぐ手段が整ったら誰も知り合いのいない地域で余生を暮らしたいと思うようになってしまいました。
要するに未来に絶望してしまったのです!!

2020年8月、身も心も辛い入院治療が終わり退院しました。自宅療養中、7月7日の七夕生まれのトイプードル(レッド)の子犬が9月から我が家で暮らすことが決まりました。正直、私は犬が好きでもなかったのですが、大学生の長女も小学生から飼いたいと言っていたし、犬好きの妻も犬と暮らすのが夢でしたから、私に万一あったときに犬が心の支えにでもなってくれたらと犬を飼うことにOKしました。私もまったく身勝手な男です。

2020年9月6日7月7日の七夕生まれのトイプードル(レッド)の子犬が我が家に到着しました。

色はレッドで名前は身体が茶色でミートボールみたいだからミートにしました(笑)但し、妻と娘からこの子と出会えたという意味で書き方はミート(meet)にしようと決まりました。
自宅に迎え入れる前一度だけ、ペットショップで見たときは何とも思わなかったのですが、仕事から帰りリビングに置かれたケージにいる子犬を見た瞬間に嬉しく感じちゃいました!

犬好きでない私が不思議と出会った初日から完全にロックオンでした(笑)
それにしてもホント可愛くて仕方がないですよね~ (^^♪


暗かった家族の生活が一気に明るく変わり、ミート(meet)中心の生活にガラリと変わりました。
今では誰かしらがリビングに顔をだしてきては

「ミート(meet)は?」

「来月のトリミングはテディベアでなくアフロとおパンツカットにしようよ~」

など家族で共通の会話が増え笑い声と笑顔も増えました (^^♪

そうです。愛犬ミート(meet)王子さまが「幸せ」を運んでくれたのです!

妻と子どもたちに笑顔がよみがえり、ふと気づけば私自身も家に帰ることが楽しみになっていました。
そう、人生が好転してきた気がしております。このように愛犬の存在はとても大きいです。今年の夏休みに「人と愛犬の絆」について思いをはせながらネットをググっていたら偶然「忠犬ハチ公」の記事が目にとまりました。

ハチ公の実話や史実を読めば読むほど興味が沸いてきました。

勿論、私も日本どころか世界中で有名な「ハチ」を知らないわけではないけれど、知っていることは「渋谷駅で飼い主を待ち続けた忠誠心がある犬」ということだけでした。史実を読むまで飼い主が日本農業の近代化に貢献した農学者「上野英三郎氏」であることも知らなかったし、ハチがなぜ渋谷駅に通い続けたのか? などの心情まで知りませんでした。

だから、ハチ公に関する資料を読みふけたあと無性に「忠犬ハチ公」に会いたい、ハチがいた場所を訪ねたいと思い夏休みを利用して「忠犬ハチ公の残像を求める旅」に長男を誘い出発しました。とても楽しい旅になったので今日は読者さんに1日で効率よく歩きまわれるルートも写真付きでご紹介したいと思います。

ちなみに私がおススメする「忠犬ハチ公の残像を求める旅4選」です。
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(01) 渋谷駅でハチ公の銅像(渋谷駅/ハチ公前改札)
(02) 青山霊園に眠る上野英三郎博士とハチ公の碑(青山一丁目駅/青山霊園)
(03) 上野の国立科学博物館でハチの剥製(上野駅/国立科学博物館)
(04) 東京大学にある上野博士との再会の銅像(東大前駅/東京大学)
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最後の上野博士に会って喜ぶハチの銅像にはとても感動して思わず涙が頬に伝わりました!

感激で涙を流すなんて何年ぶりだろうか・・・

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1:ハチ公物語の実話を簡単に話します

歴史探訪に出かける前は事前に知識を詰め込んで行った方が楽しいです。私も忠犬ハチ公に興味を抱いてから、ネット記事だけでは飽き足らず、ハチ公に関する本を読み漁りました。とは言え、そこまでハチ公について調べる時間もない読者さんも多いことでしょうから、私の方で「ハチ公物語の実話」を簡単にまとめてみました。これだけ読んでもらえたら真実にそった「ハチ公物語」の内容が理解できると思います。

ちなみに、私は「忠犬ハチ公の残像を求める旅」に出かける前夜、明日ハチ公に会えることをワクワク期待しながら、1987年の松竹映画「ハチ公物語」を片手にビールと枝豆をつまみながら鑑賞しました。
2009年にリチャード・ギアが主演した「HACHI 約束の犬」もいいですね。
是非、このような楽しみ方もオプションとしておススメします (^_-)-☆
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■■■じつはハチ公の飼い主を知らない人が多い?
ハチが亡くなった80年後の2015年(平成27年)に、ハチと飼い主であった上野英三郎(ひでさぶろう)氏の銅像が作られ東京大学で除幕式が行われました。
東京大学にハチと上野英三郎氏の銅像を作ろうと提案した、東京大学大学院人文社会系研究科教授の一ノ瀬正樹教授の談話によると、ハチは「忠犬ハチ公」として日本どころか世界中で知られているのに、飼い主であった上野英三郎氏が東京大学の教授であったことはあまり知られてないとの考えで銅像を作る提案をしたそうです。

私もそうでしたが誰もが渋谷駅にあるハチ公の銅像は知っているけど、飼い主が東京大学の教授であることも知らないしこのような銅像が東京大学にあることさえやご存じの方は少ないのではないでしょうか?

ちなみにハチは朝夕と上野先生が駒場にある東京大学に通勤する送り迎えをしていたそうです。また今の東大がある文京区本郷に通勤するときや出張のときに渋谷駅を上野先生が利用していたのですが、上野先生がまさかハチが渋谷駅で待っているとは思ってもなくびっくりしながら大喜びでじゃれあっていたそうです。東大の銅像はその様子を捉えたもので、ハチ公に興味を持った人が知る人ぞ知る「再会の銅像」として実際に見学をした人のレビューは感動の嵐が多いです!

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それではまずは初代飼い主の上野英三郎(ひでさぶろう)先生について少し語っておきます。上野先生は農業土木・農業工学の創始者で、大正12年に起きた関東大震災後の復興事業や戦後の水田整備など生産性の高い農地の実現をとおし農業の近代化に貢献した有名な博士です。

忠犬ハチ公の初代飼い主でもある上野英三郎先生は大学教授で教え子の門下生からも尊敬慕われる人物でした。その証拠に生死をさまよう大病をした先生を心配した卒業生が神奈川県の葉山にある別荘をプレゼントしたそうです!
(先生は頑なに断っていたそうですが、結局、自分が生きている間だけ使わせてもらうことにしました)

さらに上野先生がお亡くなりになった後、未亡人となった先生の妻(八重子夫人)が生活できるように葉山の別荘を売りお金を卒業生で出し合い世田谷区に八重子夫人の家を用意したそうです。

ちなみに上野先生の教え子や門下生達は先生の飼い犬を「ハチ」と呼ぶのは抵抗があったようで「ハチ公」と敬意を表し呼ぶようになった逸話があります!
これだけでも上野先生のお人柄がうかがえますよね (^^♪
(講談社/ハチ公物語―待ち続けた犬―より引用)

■■■ハチ公の生誕地は秋田県で見学もできます
上野先生は愛犬家で秋田犬を飼いたかったらしいです。教え子に頼んで秋田県大館市の斎藤家より秋田犬の子犬を譲ってもらいました。

◆1924年(大正13年)秋田県大館駅より急行電車に乗ってハチは東京の上野駅に向かいました!


米俵(こめだわら)に入れられて上野駅に着いた子犬こそ、のちに日本だけでなく世界中に知られるようになったハチです。
※ちなみにハチが産まれた斎藤家は「ハチ公生誕の地」として家の前に銅像が建ち見学スポットです。

(ハチが生まれた生家の住所):秋田県大館市大子内字三ツ梨61



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■■■上野家で過ごしたハチの幸せな日常生活
この物語を語るうえで知っておきたいことはハチの日常生活がどんな感じであったかです。上野先生の家は渋谷駅から徒歩3分~4分程度歩いた現在の東急百貨店本店がある辺り(渋谷区松濤付近)にありました。広い敷地に建つ家でハチも放し飼いで自由に暮らせていたそうです (^^♪

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【ハチが一緒に暮らしていた家族】
・上野先生
・八重子夫人(上野先生の奥様)
・つる子さん(上野夫妻の養女)
・才ちゃん(書生/家に住み込み雑用を任せられた学生)
・女中さん(3名)
・ジョン(8歳の犬)
・エス(7歳の犬)
※このように当時としては裕福な暮らしがうかがえます。
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また勤務先の東京帝国大学(のちの東京大学)駒場キャンパスまでは歩いて5分程度の距離だったようです。ハチは先生が駒場の大学に通勤するときは大学の正門まで見送り、夕方になると正門前で待ち先生をお迎えしていたそうです(^^♪

(上野家にいた頃のハチの行動範囲)

さぞかし有名な先生(博士)なので忙しかったのでしょう。文京区本郷にある大学や出張のときは渋谷駅を利用していたそうでハチは駅にもついてお見送りをして、午後17時頃になると不思議と時計がわからないのに時間とおりお迎えに行きました!まさかハチが迎えに来ていると思ってもみなかった先生が、渋谷駅の改札をでてハチの姿をみつけ「ハチ!」と声をかけると、耳を立て全力疾走で先生に飛びつき身体をおしつけ甘えてきたようですね (^^♪
そして上野先生もぎゅっと抱きしめて頭から背中の身体中撫でてあげました。
(講談社/ハチ公物語―待ち続けた犬―より引用)

きっと犬にとって飼い主が撫でる手が最高のご褒美なのかもしれません (^_-)-☆

このような日常はハチにとってそれはもう楽しく幸せな毎日であったでしょう

そのときのハチの気持ちが私にはよくわかります。人間と一緒の感情を押しつけてはいけないのかもしれませんが、私も毎日辛い仕事から帰宅するとシッポをブンブンふって出迎えてくれる愛犬ミート(meet)に癒されるし、まさか中年になった今、楽しかった子育て時代のように愛犬を育てる楽しみができるなんて想像もしてなかったです。


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■■■上野先生の急死で生活が激変してしまったハチ
◆1925年(大正14年)5月21日、上野先生が脳溢血により逝去・・・
ところが、ハチの幸せな毎日は上野先生と暮らし始めてからわずか1年4か月で突然終わりを告げます。
なんと上野先生が大学で倒れてお亡くなりになってしまったからです。
まだ若い53歳でした・・・・
逸話によると、上野先生が大学で倒れた日、大学の門から先生が現れず帰宅したハチは先生の匂いを探して物置に入ったそうです。そこには先生が着ていた着物があったからです。結局ハチは着物から離れず3日間ご飯を食べなかった。そしてお通夜の日、庭から部屋の座敷に上がりこんできたハチは上野先生の棺が置かれている机の下にもぐりこんで、人々がだそうとしても足を踏ん張り決して離れようとしなかったそうです。(講談社/ハチ公物語―待ち続けた犬―より引用)
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■■■ハチ死してやっと上野先生に会えたかな?

◆1935年(昭和10年)3月8日 ハチ11歳で永眠・・・虹の橋を渡る
大好きだった上野先生と会えなくなってから10年間、ハチは雨の日も風の日も雪の日も、毎日のように渋谷駅に通い続けて改札口を見つめて座って待ち続けました。
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この10年間は先生と幸せに暮らした1年4カ月とは違ってハチには辛い暮らしぶりになっていました。
せめて先生の奥様であった八重子夫子人と一緒に暮らせたらよかったのですが、婦人は戸籍に入っていない内縁の妻であったため、上野先生と暮らしていた家をすぐに退去しなければならず、ハチと住む環境を整えることはできなかったようです。
ハチが最初に預けられた日本橋にある親戚の呉服屋ではつながれて散歩もできず、お客の女性を八重夫人と勘違いしたのかハチが嬉しくて飛びついてしまう騒動を起こしてしまいました。次に預けられた浅草の家でも飼い主は可愛がってくれたものの、近所とのトラブルがあっていられなくなってしまいました。
その頃、八重子夫人の暮らしを心配した上野先生の門下生がお金を出し合って世田谷区に八重子夫人の家を用意したそうです!そこでハチはまた八重子夫人と暮らしはじめたのですが・・・ハチが畑を荒らすと近所の農家と揉めたりして夫人も苦悩しました。そこで八重子夫人は上野家に出入りしていた小林菊三郎氏にハチのことをお願いしました。小林菊三郎氏宅は現在のNHKが近くにある谷区富ヶ谷に住んでいたのでハチにとっては住み慣れた環境だし渋谷駅にも近い、そしてなにより、小林菊三郎氏のお人柄だからこそ信頼してハチを任せられたような気がします。実際そのとおりに小林菊三郎氏の家族はハチにやさしく接し可愛がり世話をしたそうです。小林家の家族がハチをやさしく可愛がった逸話として、近所の肉屋さんがハチに牛肉をくれたところ、ハチがもらったのだからと子どもには安いコロッケを与えてでもハチに牛肉をあげ大切に育てたそうです。
そしてハチは二代目飼い主になった小林菊三郎の自宅から渋谷駅に上野先生に会いたい一心で10年間通い続けました。ときには渋谷駅による途中に昔住んでいた家を覗いて先生がいないことを確かめてから渋谷駅に行っていたそうです。

(小林家にいた頃のハチの行動範囲)
※小林家は現在のNHKがある渋谷区富ヶ谷にありました。渋谷駅まで歩いて1.5㎞(徒歩7分)程度であったと思います。

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11歳になったハチは人間で言うと80歳くらいです。この頃のハチは家に帰らないことも多く、渋谷駅の荷物室で駅員さんが泊めてくれるようになりました。
亡くなる3年前の1932年(昭和7年)には、死んだ飼い主を待ち続ける忠犬として新聞記事に掲載され全国からハチを見ようと渋谷駅に沢山の人が訪れるようになりました。そして人々はハチを可愛がるようになりました。

しかし・・・じつは新聞に載る前は通行人や屋台の人などに邪見に扱われたり、野良犬として捕獲人に何回も捕らわれてしまいその都度、ハチを知っている警察官に助けられたりしたような状況であったようです。そのハチ公の様子をみていた斎藤弘吉氏(日本犬研究家でハチ公や南極地域観測隊のタロとジロを世に知れ渡した人物)が、ハチのことを新聞に投稿しました。そして新聞に「いとしや老犬物語/今は世になき主人の帰りを待ち兼ねる七年間」の記事でたちまち全国区で有名になり、その情報は世界にも発信され知られるようになりました。その人気を日本軍が利用して忠君愛国のシンボルとして小学校の教科書に載ったりしました。

またハチ公の銅像を作ろうと気運が高まり、同じく亡くなる1年前の1934年(昭和9年)には、是非ともハチの銅像を作りたいと申し出た彫刻家の安藤照氏による銅像が完成して渋谷駅前に建てられその除幕式には生前のハチも出席したそうですよ (^^♪
※ちなみに渋谷駅に今建つ銅像は二代目です。安藤照氏が建てた銅像は戦争がはじまり機関車の材料として溶かされてしまいました。その後に安藤照氏のご子息、安藤士に終戦後作り直された銅像が現在の渋谷駅に建つ銅像です。

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■■■ハチの最期は上野先生が眠る青山霊園に続く道で倒れていた!
ハチは最期、いつもの渋谷駅改札から少し離れた渋谷川にかかる稲荷橋付近で倒れて亡くなっていたそうです。一説にはハチは足をひきずりながら渋谷駅にある「焼鳥屋のおじさん」「食堂のお兄さん」「甘栗屋のおばさん」など一軒一軒店をまわり「どうしたの、ハチ?」と声をかけると店から出ていったそうです。そして翌日、稲荷橋付近の路地で冷たくなって倒れているハチが発見されました。その場所はハチが普段行かない場所でしたが、じつはハチが倒れていた道は大好きだった上野先生が眠る青山霊園に続く道であったそうです。

(講談社/ハチ公物語―待ち続けた犬―より引用)

※現在の渋谷ストリーム駐車場付近でハチは亡くなっていたそうです。

【追 記】
本記事を執筆後、ハチが最後に倒れていた辺り(渋谷区渋谷3-18の稲荷橋付近)を見に行きました。再開発された今の渋谷駅を見たらハチはどう思うかな?



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どうでしょう。ざっとハチの生涯を簡単にまとめてみました。
そのうえで私がおすすめするルートを参考に楽しんでいただけたら嬉しいです。
勿論、ルートは好みでアレンジしてみてください。
私も息子にせがまれて、途中六本木ヒルズでお茶したり、上野のアメ横に寄り道しました。それでは「忠犬ハチ公の残像を求める旅」の旅ルート4選を楽しんでください (^_-)-☆

2:ハチ公が10年間待ち続けていた場所(01/渋谷駅/ハチ公前改札)

時は大正時代、今から97年前の日本で人と動物の絆を証明できる物語が渋谷駅でみられました。ハチが毎日のように通った渋谷駅。カンカン照りの真夏や、雨や雪が降る寒い日など構わず上野先生を渋谷駅で待ち続けていたのは大好きな先生に会いたい一心だったのだと思います。

「忠犬ハチ公の残像を求める旅」の出発スタート点は渋谷駅を選びましょう!
JR山手線を利用する場合は、渋谷駅の改札を降りたら
(駅のホームでハチ公改札を目印に歩いてください)
※ハチ公改札の看板を目印にホームより階段を降りたら1分程度でハチ公口改札です。改札でたら数十メートル先にハチ公の銅像があります。

いまだに海外でも人気のハチ公です。
いつ来ても記念撮影をしている外人さんが多いですね!

■■■ハチの銅像は今でも渋谷駅の改札方面に向いている
ハチの銅像は1989年(平成元年)5月の渋谷駅前広場の工事のとき場所を、ハチが上野博士を待っていた東向きに置かれるようになったそうです。
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ハチの銅像の前でハチと同じ目線でみたくてしゃがんで座り、渋谷駅の改札を見ました。座ってみると案外と視線は改札方面へ向けて一直線に見えます。しかし逆に言うと一直線に見える視界の周りは入ってこない感じがしました。きっと、在りし日のハチも目には周囲で行き交う人々は入ってこなくて、一直線にみつめる改札口から大好きな上野先生がでてくることだけ期待してみつめていた気がしてなりませんでした。

3:ハチ公が先生と一緒に眠るお墓(02/青山一丁目駅/青山霊園)

ハチは最期、普段は行かない渋谷駅の反対側方面にある稲荷橋付近の路地で冷たくなって倒れていました。驚くことにハチが発見された場所は上野先生が眠る青山霊園(出身地の三重県のほか、門下生により青山霊園に建てられ分骨された)に続く道だったそうです。ここから虹の橋を渡って上野先生に会いに行ったのかな?ハチの気持ちに寄り添い渋谷駅のハチ公銅像から青山霊園に向かいました。

■■■東京メトロ銀座線(渋谷駅)➡(青山一丁目駅)へ電車移動
渋谷駅から銀座線の乗り換え改札までは歩いて5分程度かかります。
看板に「銀座線」と書いてありますが、初めての人は少々迷うかもしれません。
東京メトロ銀座線(渋谷駅)より電車で5分➡3駅先の(青山一丁目駅)

(青山一丁目駅)を降りたら5番出口より地上に出る(徒歩8分)

青山霊園には歴史上の人物でもある「大久保利通」や元首相の「犬養毅」、作家の「星新一」「国木田独歩」タレントの「小林麻央」※敬略称 などが眠っており霊園内を歩くと身が引き締まる思いがしました!

【ハチが上野先生・八重子夫人と眠るお墓です】


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※ちなみに上野先生は、親が決めた婚約者と一緒にならず奥様(八重子夫人)と結婚されたので戸籍に入らない内縁の妻でした。よって八重子夫人はお墓に入れなかったのですが・・・生前に「せめて自分が死んだら先生のお墓の灯篭の下に納骨してほしい」と願っていたそうです。
そんな八重子夫人はハチも大好きだったようで、お人柄も謙虚で優しくハチからも慕われていた逸話が沢山あります。先生がお亡くなりになってから91年後の2016年に八重子夫人もこの青山霊園に納骨されて「ハチ・上野先生・八重子夫人」が一緒に眠ることができました!
・1925年(大正14年)上野先生がお亡くなりになる
・1935年(昭和10年)ハチが亡くなる
・1961年(昭和36年)八重子夫人がお亡くなりになる
・2016年(平成28年)青山霊園のお墓に八重子夫人納骨
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【オプションルート選択】
ここで同行した長男が暑くて疲れたので喫茶店でお茶したいと言いだしました。
青山霊園から六本木ヒルズがあるタウンまで歩いて15分程度なので見学がてらお茶をしに寄り道しました。またせっかくだから展望台に登り、東京都心の発展した景色とハチ生きていた大正~戦争前の昭和時代に思いをはせるのもよいかと思います (^_-)-☆


(六本木ヒルズタウンでお茶と昼食でハンバーガー)

(ついでに展望台に登りました)

さて次なる目的地は国立科学博物館でハチのはく製を見に行きます。
六本木ヒルズのタウンから「六本木駅」まで歩いて3~5分程度です。

(有名なアマンド喫茶店がありました)
ちなみに昭和生まれ、90年代のトレンディードラマ世代のお父さんには懐かしい「六本木で待ち合わせと言えば、六本木交差点角にある喫茶店アマンド」もまだあります(笑)

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4:ハチ公の剥製が見られます!(03/上野駅/国立科学博物館)

全国区で有名になったハチの告別式は八重子夫人や二代目飼い主の小林氏ほか多数の参列者のもと行われました。またハチの亡骸は上野先生が勤務していた東大に届けれ解剖の結果、大量のフィラリアが寄生などわかったそうです。(その後の調査で癌も原因と判明する)

この解剖の際にハチの内臓はホルマリンに漬けられて現在も東京大学農学資料館で見学できるようでしたが・・・私は見なかったです。
また、亡骸を解剖後に坂本喜一氏と本田晋氏によってはく製にされました。
ハチのはく製は上野にある国立科学博物館で見られます。
ちなみに南極物語でも有名になった「タロとジロ」をご存じでしょうか?
ジロのはく製も見られますし、博物館には様々な動物の展示がされております。
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■■■東京メトロ日比谷線(六本木駅)➡(上野駅)へ電車移動
東京メトロ日比谷線(六本木駅)より電車で27分➡14駅先の(上野駅)
(上野駅)を降りたら公園口より徒歩5分で国立科学博物館に到着します。

【国立科学博物館です】
※国立上野博物館(65歳以上と18歳以下の高校生まで無料、他大人650円)



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5:ハチ公と先生が再会する銅像に大感激!(04/東大前駅/東京大学)

冒頭でご説明したとおり、ハチが亡くなった80年後の2015年(平成27年)に、ハチと飼い主であった上野英三郎(ひでさぶろう)氏の銅像が作られ東京大学で見られます。
この銅像は、まさかハチが渋谷駅で待っているとは思ってもなくびっくりしながら大喜びでじゃれあっていた逸話を再現した再会の銅像です。

■■■JR山手線(上野駅)➡(駒込駅)➡東京メトロ南北線(東大前駅)へ電車移動
(上野駅)~(東大前駅)22分。
(東大前駅)ら1番出口よりからハチの銅像がある(東京大学門)まで徒歩2分と驚きの近さでした。






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私・・・この銅像の前で立ちすくみ思考停止状態で涙が止まりませんでした。
ほら人って自分を主人公にして物語を作り上げることがあるじゃないですか?

平成24年に次期社長に任命されて会社の同僚と無我夢中で働き、ある日突然に病気の宣告を受け家族で落ち込み、入院治療と同時に日がたつにつれて色々な人の本性が見えたりして「人の気持ちはかろがろしくないんだ」とクサクサした気持ちで毎日を過ごしていました。
そんなとき、たった1匹のトイプードルの王子さまが我が家と私の気持ちを救ってくれました。再会の銅像で上野先生を嬉しそうに見上げるハチより「生きていく力」というか「大切な相手を愛する」という大事なことを改めて教わった気がします。



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(第68話に続く)

これだけ読めばドギーボックスの中身や値段がまるわかり!【お試し無料キャンペーンの情報や申込方法まで解説】

最後に失礼ながら私の自己紹介させていただきます。
通称、メタボ父さんです(^_-)-☆

2年前にトイプードルと暮らしはじめて、わからないことを本やネットで情報を調べるうちに気づきました。今の時代は情報が多すぎるし、獣医監修記事やトレーナーにより考え方が色々あるので読み手のコチラとしては判断に迷ってしまいます (-_-メ)
結局、自分で信頼性のある記事を判断していくしかないですが・・・初めて犬と暮らす人にとってはこの判断が難しいのですよね (^^;
だから、初めての飼い主さん向けに自分の体験談をブログで発信しております。
勿論、犬種や性格によりけりですが、そこは人間の子育てと一緒ですからね (^_-)-☆


本ブログは、今までの体験や悩み相談しながら解決してきた、この生きた情報をこのブログ記事では、(第1話)~から時系列にまとめております。
第1話のパピー犬から時系列に体験談を書いてありますので、ご興味ある記事内容がありましたら巻末より合わせてお読みいただけたら嬉しいです (^_-)-☆

 

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